関東大震災と行商 その1 農村社会は〝閉鎖的〟か?
「福田村事件を語る集い」では、関東大震災による東京の食糧難が、千葉県や茨城県の農家による行商が広がるきっかけだったと、「広報かしわ」(1975年10月15日)と柏市市史編さん室編集の『柏のむかし』(1976年)をもとに説明しました(資料p.22~25)。
福田村事件げが起きた福田村と加害者を出した隣村の田中村は農村地域です。「福田村事件を語る集い」では、3つの問題点のうち「②行商への偏見」はなく、売薬行商人を喜ぶ地域であるという考え方を示しました。千葉県警察部のポスターの図柄をよく見ると、警戒をよびかけた対象は郊外住宅地に住む新興富裕層で、決して農村にはみえません。警戒対象は「不正行商人」と、わざわざ「不正」と明記してあります。
集いでは配布した資料2の6~7ページ「2018年4月25日朝日新聞香川版」では「当時の農村社会は閉鎖的で、よそ者を排除する意識が強かった」と、根拠が示されずに決めつけのような文章が書かれています。
福田村事件追悼慰霊碑保存会のブログに掲載される年表にをみると、現在までの真相調査の多くの成果は香川県関係者による1988年までの調査で判明しており、2003年以降は辻野弥生さんによる個人的な調査など以外には行われてこなかったように思われます。
1988年3月3日「遺族・高畠氏と、十鳥氏(豊中町教委)三ツ掘現地、野田市役所・同教委訪問。事件真相解明の協力要請」などを除き、調査は香川県の研究者や行政が行っており、以降の千葉県側での調査の記録はほとんどありません。2001年3月23日に、香川調査団(遺族、真相調査会、部落解放同盟、香川人権研究所三豊郡1市9町行政)16名、千葉・刻む会6名柏市役所調査訪問も「主に柏市史関係について」と書かれたように、1975年の「広報かしわ」などには触れられておらず、調査の対象外であったものと思われます。
関東大震災と行商の「その2」以降は、集い資料との重複にもなりますが、2003年の慰霊碑建立までに調べることのできたはずの「広報かしわ」などから、関東大震災を境に柏市地域と周辺地域で広まった行商―「カラス部隊」などとの呼称もある―の報道や市史などの記述を紹介します。
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