2024年3月10日日曜日

「四国新聞」記事と年表で読む福田村事件

 「四国新聞」記事と年表で読む福田村事件

四国新聞は、香川県をエリアとする日刊紙です。同社のホームページによれば、「発行部数は約20万部。県下の普及率は約6割という圧倒的なシェアを誇っています」といいます。代表取締役は平井龍司氏です。龍司氏は、2018年10月に発足した第4次安倍改造内閣で情報通信技術(IT)政策担当大臣として初入閣した平井卓也元衆議院議員の弟です。また、卓也氏は四国新聞社の取締役を2000年1月まで、1987年11月より1999年まで西日本放送代表取締役社長を務めている。

■2000年7月10日記事(画像2-1および2-2参照)


・記事は広告を除き1面の前面を占める。冒頭に、「デマが飛び交う首都周辺で、六千人を超える朝鮮人と六十人近い日本人が虐殺された。その中に、県人が含まれていたことは、あまり知られていない」と書かれている。

・同年3月30日に設立した香川県の「千葉福田村事件真相調査会」に呼応し、7月2日に千葉県で設立した「福田村事件を心に刻む会」について。千葉の設立総会には四国新聞以外に「取材に訪れる社はなかった」と書かれている。

・「概要と経緯」は、元高校教諭の石井雍大さんらの研究成果を基にまとめられている。

・さらに石井雍大さん(県歴史教育協議会会長)のインタビュー「目に見える慰霊急げ」が掲載されている。


*この記事、四国新聞の「シリーズ追跡」はアーカイブされている。「福田村事件」のこの記事は以下のURLで

https://web.archive.org/web/20140816211344/http://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/098/

*「シリーズ追跡」では2000年6月5日に「解放・人権センター完成へ」を掲載している。アーカイブ記事は以下のURLで

https://web.archive.org/web/20110125035218/https://www.shikoku-np.co.jp/feature/tuiseki/095/




■2003年7月24日記事


・同年3月30日発行の『福田村事件の真相 第三集』奥付では、千葉福田村事件真相調査会会長は「中嶋忠勇」とあるが、記事では「高畠郵司会長」となっている。3月末から7月の4か月足らずの期間に人事の変更があった。

・慰霊碑の設置場所も現在地に決定している。

・香川の調査会は慰霊碑建立後に解散、調査は人権研究所が引き継ぐとある。

・千葉の刻む会も解散し、資料館の建設などを目指す運動を新たに展開するとある。


■2003年9月7日記事


・方言などから朝鮮人と「間違われて殺された」のではなく「真相調査会などの調査で、日本人と知った上での虐殺だったことが判明した」と断定されている。

*2000年7月10日記事のように、香川県では部落解放同盟も組織的に真相調査に参加している。慰霊碑の除幕式を報じた「解放新聞(香川版)」では朝鮮人と間違われて殺されたという「朝鮮人誤認説」は「まるで犠牲者に責任を転嫁するような」説であると指弾し、さらに「しかし他に類似事件はない。」と断定、「全国各地から上京していた人は相当な数になるが、他に方言誤認事件は問題になっていない」とし、2000年記事との変化が著しい。「解放新聞(香川版)」は福田村事件追悼慰霊碑保存会のブログで閲覧できる。URLは以下。

https://1923fukudamura-hozonkai.blogspot.com/2022/11/80-1.html

■記事から離れて

1924年の控訴院判決の報道以降、1983年9月1日に発行された『いわれなく殺された人びと』(千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼調査実行委員会編集/青木書店刊)まで、福田村事件を日本社会で知られることはなかった。同年8月、同実行委員会のメンバーで千葉県歴史教育協議会の平形千恵子さんが石井雍大さんに事件の情報が伝えられ、香川県での調査につながる。年表(辻野弥生さんの旧著)をみると、この調査が遺族、被害者側の活動が行政を動かしていったと読める。この活動は1988年の野田市訪問で途絶えている。この訪問時に被害者側は野田市教育委員会に慰霊碑建立を再度求めている。


1999年11月、香川の調査団22名が事件現場や野田市を訪問し、これに千葉の関係者が合流する。これをきっかけに刻む会の組織化につながったのであろう。



千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会 編『いわれなく殺された人びと : 関東大震災と朝鮮人』,青木書店,1983.9. 国立国会図書館デジタルコレクション
 (参照 2024-03-10)

*2024年8月24日、四国新聞「解放・人権センター完成へ」の記事を追記した。